三原じゅん子物語
幼い頃、私の家は生活が苦しかった。家じゅうの家具に『赤い差し押さえの紙』が貼ってあって、いつも借金取取りのおじさんが来ていました。そのなかで、毅然と対応する母の姿を見て正義感に目覚めました。芸能界で仕事をしていた時も、全然華やかではなかった青春時代。学校と芸能界、入院中の母の看病で、毎日精一杯でした。
44歳の時、腺がんにかかっていることがわかりました。『死ぬかもしれないということ』『赤ちゃんを産めなくなること』『仕事を辞めなければならなくなるかも、という不安』。色々な事を考えて、一番辛い時期でした。
知り合いのつてをたどって、がん患者の会や家族会とやりとりを続けていくうちに、「私が議員になって、みんなが困っていることを解決したい!」と思うようになりました。がんに苦しんだ経験から医療制度改革の必要性を痛感して、国会議員になることを決意しました。
当時、自民党は『野党』でした。でも私は「国会議員になるなら絶対に自民党しかない!」と決意して、何度も、何度も、自民党の門を叩きましたが、なかなか公認をもらえませんでした。
野田聖子先生をはじめ、多くの先生方のお力添えがあって、平成22年参議院選挙の2ヶ月前に、ようやく公認(比例区)をいただきました。「女優引退」と退路を断って、選挙戦に挑みました。
選挙戦では、多くの有権者の方に私の想いを伝えるために、全国約30都市を回り、「握手大作戦」を展開しました。真夏の過酷な選挙戦。点滴を打ちながら「握手大作戦」をやり抜き、16万8342票を頂き、初当選させていただくことができました。
「国会議員」という「いのち」をいただいた私は、腺がんで苦しんだ経験から、「女性」「いのちと健康」を守ることを誓いました。これまで、インターネット上に元交際相手の画像や動画を公開する「リベンジポルノ防止法」、がん対策の基礎となるデータを把握するために「がん登録推進法」の制定等、多くの立法作業に取り組んできました。
また、オートバイ議連事務局長、クールジャパン戦略推進特命委員会事務局長、どうぶつ愛護議連事務局長、賃貸住宅対策議連事務局次長、トラック輸送振興事務局次長、モータースポーツ振興議連事務局長等、自民党の勉強会でも活躍しています。
平成28年参議院厚生労働委員長に就任し、「いのちと健康」「労働問題」など幅広く、取り組んでいます。大好きな神奈川から「守りたい~あなたの想いを受け止めて~」をスローガンに掲げて、みなさまの想いに寄り添いながら頑張ってまいります。